ハムの人続き

naoya_7082004-11-02

『英語が話せるのか?』 なぜだか現在は話せません。
過去には確かに話していた模様です。
ハムの人の他にも一緒に遊んでいた不良外人の親友は3-4人いましたし・・・
私が小学生の頃住んでいたところは今では立派になった『本牧地区』にはじめて出来た団地。それも埋立地に出来た新しい住宅地でした。 近くにあるのは米軍の暖房用のボイラー工場、将校用住宅地、反対側はPX(軍専用のスーパー)と兵隊用のアパートに挟まれたとても不思議な環境でした。  自然にけんか友達は日本人よりもアメリカ人、5セント硬貨を拾っては『住宅地』内にあった病院のロビーの自販機にチョコバーを買いにいったり、日米混成探検隊を作って当時まだあった防空壕に入りMPに捕まったりしてました。  ですから中学の2学期までは間違いなく英語の成績は学年TOPでした。 この辺から私の転落人生がスタートします。  2学期を過ぎると当然書くにしてもスペルの複雑な単語が増えてくるわけで、また私のしゃべっていた米語はスラングがほとんどのかなり汚い英語でした。 当然遊ぶのに読み書きは必要が無いのでほとんど出来ませんでした。 いちどTopにたって天狗になった私が英語の授業についていけなくなるのがいかに早かったか想像がつくと思います。
そこで一念発起してまた勉強していればよかったのですが、当時学校に来ていた外人の先生と話して通じていたのが私ぐらいだったので『話せりゃいいや』と勉強しませんでした。 
今思い起こせば『おーい!そこのネイちゃんいいことして遊ばない?」的な英語しか出来なく出てくる単語で一番多いのが「ふぁッく」「あーす」「ぴっち」「「しっと」etcの羅列英語(?)だったようです。
そんなしゃべり方が受けて(?)『ハムの人』やその仲間たちとロックコンサートやジャズバーで飲み歩いていたらしい(自分でもすでにわからない領域)のです。
お互いじじいになってからあってみたらお互い『良識ある市民』になっておりスラングなど喋れなくなっていてただただ顔を見て泣いてみたり笑ってみたりしてました。

航空祭


先ほどヘッドホンにてボリュウムをかなりあげて森高千里渡良瀬川を聞いていたら、「ぐわーーーん」と鳴り響きPCがトラブッタのかDataがすっ飛んだのかと、首をひねっていたら、T-4か何かが低空飛行してた模様。 横で怒鳴られても解らないくらいの音量で聞いていたのにそれを打ち消すとは。
恐るべきジェットエンジン騒音。

入間航空祭http://www.dii.jda.go.jp/asdf/cacw/kouhou/041008/
航空自衛隊入間基地:http://www.dii.jda.go.jp/asdf/cacw/
http://www.modelfplus.com/BlueImpulse2002_at_Irumabase.html
http://allabout.co.jp/entertainment/airplane/closeup/CU20021017A/